全長およそ11メートルのヨット「海連」。
今は静かに船体を休めていますが、33年前、この船は全国の人々の注目を浴びました。
海連は1991年、鹿児島から世界に旅立ちました。
今給黎教子さん(当時27)
「大変なしけです」
今給黎教子さん、台風で大しけの太平洋。船の墓場、ホーン岬。そして大西洋、インド洋と大海原をたった一人ヨットで乗り切りました。
一度も港に立ち寄らない単独無寄港世界1周。その挑戦に全国の人々が注目しました。
海連とともに旅をしたヨットウーマン。鹿児島市に暮らす今給黎教子さんです。
今給黎教子さん(59)
「一番長く過酷な航海をした船。命を預けた船」
海連は今年、日本船舶海洋工学会から船遺産に認定されました。
日本人女性初の世界1周に用いられたヨットとして、たたえられました。
今給黎教子さん(59)
「そうそうたる船ですからね、過去の船が。その仲間入りができたというのは、最高にうれしい。誇りです」
「私の歩幅に合わしてある」
Q.世界一周したときのまま?
今給黎教子さん(59)
「変わらない」
そんなふね遺産に仲間入りした海連ですが、鹿児島市谷山の港の片隅でひっそり整備されています。
今給黎さんは子供や一般の人たちが見ることができるような保管場所を探しています。
今給黎教子さん(59)
「みなさんが見られるような形にしたい」
Q.もう一回、海連と旅に出るとしたら?
今給黎教子さん(59)
「奄美大島、遠くはいい。こんな素晴らしい海のある県はない」