10月16日、鹿児島大学水産学部のキャンパス内にある霧島丸遭難記念碑で清掃活動が行われました。
「霧島丸」は鹿児島大学水産学部の前身、鹿児島県立商船水産学校の練習船。
昭和2年3月9日、千葉県犬吠埼沖で天候不良により遭難し、実習生や乗組員合わせて53名が犠牲となりました。
当時、公立の11の商船学校には5隻の小型木造船しかありませんでしたが、霧島丸遭難により大型帆船の建造の機運が高まり、昭和5年に初代「日本丸」と「海王丸」が誕生しました。
この日は、旧東京商船大学や旧神戸商船大学などのOBによって構成された一般社団法人海洋会の鹿児島支部が中心となりおよそ25名が清掃に参加しました。
鹿児島大学 南九州・南西諸島域イノベーションセンター
センター長 藤枝繁博士(水産)
「霧島丸の遭難から95年が経っていて、(関係者が)高齢化しているので、歴史もどんどん風化していくので、それを残すためにも、皆さんの協力をもらい今回きれいにすることができました。」
清掃後は献花、献杯を行い犠牲者を弔いました。
一般社団法人海洋会 鹿児島支部
今村洋一支部長
「きれいになることでたくさんの方々がここを訪れてもらい、(霧島丸遭難事故のことを)たくさんの方に知ってもらえればと思います。」